東洋航空 TT-10

対日講和条約が発効され、航空再開となった直後(昭和27年)に、元川西航空機の上層部ら中心となって設立した東洋航空の最初の作品。
同年の12月、純国産機機としては、戦後2番目(1番は立飛R-52)、曲技練習機としては戦 後初の飛行に成功してます。
東洋航空(社長:元播磨造船 横尾竜さん)は設立当初より経営が思わしくなく、TT-10を2機とフレッ チャー(別項で解説)数機を生産したところで、昭和28年/12月には倒産して ます。
試験場所は藤沢飛行場(現、荏原製作所)


「TT-10」は2機作られ、程なく1機は 墜落で失っているので、航空高専の展示機は大変貴重な1機と云えま す。
同じ頃に、日大と岡村スチール(事務机)が共同でN52(副座練習機)を開 発製造してましたが、初飛行はTT-10が先となりました。


「TT-10」の設計は元川西航空機の設計者達が行ったはずですが、一部資料に よると木村秀政先生が設計主任をされたとなっています。(参考:航空ファン1953/1)
小美濃はこの 事が気になって、木村秀政先生がお元気だった頃に、「TT-10」について何 度が質問を投げかけましたが、あまり話したがらないご様子で、結局事実関 係を聞き出すことはできませんでした。