調布飛行場

当時、日大には格納庫(製作場所)が無かったため、人力飛行機「リネッ ト」シリーズの設計、初期製作はお茶の水校舎の教室で行われていまし た。最終組み立て、飛行テストは調布の格納庫・飛行場に移り行われま した。

調布の製作現場は、飛行場の昔の入り口(野川公園側)から入って、今の JAMCOを越えたあたりのやや風化しつつある大型の格納庫が使われまし た。野川とドブ川の間です。

その途中、小さな山が2つ有り、良く見ると、それはドーム状の航空機 の防空壕(掩体壕(えんたいごう))でした。戦時中に使われたのでしょ う。
小美濃はその小山を使って、近くのASIJ(アメリカンスクールインジャパ ン)の学生とバイクでトライアルゴッコをしたものです。(今のJAMCOの 所あたりです)

この格納庫は、前後して中村さん人力飛行機「くだかけ」の格納に使わ れたり、ずーっと後の1975年頃には荒川幼稚園近くで大破した日大軽飛 行機「N62」が保管されていたこともあります。

格納庫は赤と白に塗り分けられ3階建ても有ろうかと思える高い天 井の建物でした。その側面には明かり取りのガラスがはめ込まれてまし たが、数枚、あるいはもっと多くが割れたままの状態でした。雨の日 にはその割れた穴からの吹き込みもあって、置く場所によっては機体を 濡らしてしまう恐れもありました。

伝統でしょうか、日大人力は寒い時期に作られるため、割れた窓から入 りこんだ雪で、格納庫内がうっすらと白くなることもありました。 良くしたものでその広大さゆえ、置く場所を考えれば何の被害もありま せんでした。ただ埃が多く、長時間の格納後では「ハタキ」ですす払い が必要でした。

厚さ50cmもあろうかと思える大きな引き戸には、その中程に3*6尺位の 小さなドアが組み込まれて、通常はそこから出入りしてました。 テスト飛行日には、大きな重たい引き戸を開け、中から少し上向き加減 の人力飛行機「リネット」がでてきました。


調布格納庫での「リネット3」の製作風景。


珍しい「リネット4」の写真。串刺しの棒は? 後々解説します。