ストーク

当時、人力飛行機の世界記録はイギリス空軍の「ジュピター」の持つ約 1000mでした。
小美濃は4年生になると「理工学部機械工学科、航空宇宙工学コース、木 村・池田研究室、人力飛行機班」と云う長い名称に所属、班員は11名でし た。

我々の人力飛行機は設計から製作まで約10ヶ月を要し、1975年にロール アウトし、木村先生に「ストーク」と命名してもらいました。

その後「ストーク」は、翌春からテスト飛行を重ね、習志野(600m)を何度 も飛び切りました。自信がついたところで木村秀政先生に頼みこんで下総基地 (2,300m)を借用して頂き、
年明け草々の下総基地で、一気に2000mを越える飛行に成功。世界記録 起立となりました。

この日は「ストーク」が飛び始めてから約10ヶ月、121回目のトライに 当りました。当日までの総飛行距離は約40Km、飛行時間は合計1.5時間 位でした。

その後、マブチモーター(RS550SP*6ケ)を丸く配置し、平ギヤで一つ の出力に纏めてペラを回し、日本ではじめての、そして世界で2番目の電 動飛行機にもなりました。

「ストーク」はその記録が認められ、上野の国立科学博物館に永久展示 となりました。恩師、堀越先生のゼロ戦と並んでの展示に大変誇らしく 思っております。(展示状態維持には後輩達の協力を得ています)

※「ストーク」の開発から飛行については別途項を改めます。


1975年まで世界記録を保有していた英国軍の「ジュピター」


中央が木村先生、右に富沢さん、左は池田教授。
そして「ストーク」開発チーム11名。(座る列、右から2人目が小美濃)