ホームビルト班

1972年に「ホームビルト班」を再編成。目標をハングに絞り、活動を再 開しました。
最初に設計したのが「hobby号」。1973年にロールアウトし、同年8月に ジャンプ(40m位)しています。この機体は多分、日大航研の第一号機だ と思います。

主要諸元はちょっと大雑把ですが下記のような感じです。操舵は3舵で す。
全幅12200mm、全長6000mm、全高2000mm、重量66Kg、失速速度9m/s

1974年春、第二号機「フライヤー号」が完成しています。こちらは2舵 (ラダー、エレベータ)です。
主要諸元は
全幅7270mm、全長4580mm、全高1860mm、重量28Kg、失速速度7.2m/s

特長は複葉でコンパクトなこと、そして大変軽く仕上がっていることで す。分解すると2トントラックにちょうど収まり、移動も簡便でした。 木村先生のお勧めで「キット化」の検討もしました。

土手でのジャンプ飛行は大変うまく、霧が峰で記録飛行に挑戦しまし た。(当時の滞空記録は米国の約2時間です)

霧が峰では、場所探しや風待ちで移動を重ね、思うように飛ばすことが できず、最後はスピンのような形で墜落させてしまいました。現場で応 急修理をしたのですが、そこまでとなってしまいました。

習志野に帰った「フライヤー号」はそのまま「飛行捨て山」行きとなっ てしまいました。飛ばし込んで熟成させればいい機体に仕上がったん じゃないかと、今でも残念に思っています。

当時、人力「ストーク」の設計で頭がいっぱいだったこともあり、ハン ググライダーをこれ以上突き詰める雰囲気にはなりませんでした。

「フライヤー号」は多くの新聞、雑誌、テレビ等で取材を受けました が、全日空の機内誌(座席の前のゲロ袋と一緒にはさまっている雑誌)に 掲載されたことが印象に残ります。当時の「空飛ぶビジネスマン」に見 て頂けたのでないでしょうか。


「hobby号」の主翼組。格納庫前にて。


「hobby号」のテスト飛行。


風待ちの「フライヤー号」。右腕は操縦桿、中央の縦棒状は速度計。


離陸する「フライヤー号」