イーグレットシリーズ

小美濃の1年から3年は「イーグレット」「ニューイーグレット」「イー グレット3」の時代に一致します。
「イーグレット」は調布から移った最初の卒業研究だったため、新しい 格納庫には何の装備も無く、一から準備することから始めました。
泊まり込み用の2段ベットや布団、大型のストーブ等も揃えました。

当時、設計計算はほとんど計算尺頼りでしたが、メモリが一つか二つの 加減乗除電卓も一台だけ購入しました。
(函数電卓が普及したのは後の 人力「ストーク」の頃です)

人力の製作飛行拠点が調布飛行場から習志野に移った頃の、木村研人力 飛行機班のお金の使いっぷりは見事でした。
正確な数字は避けますが、班員の4年分の授業料の合計を超・・ 云々・・と聞こえた気がしました。
(小美濃の3年先輩のグループです)

追コンだったかOB会かの折に木村先生がふともらした発言が「君たちよ く使ったね」でした。

多分、資金か経理部門から先生に報告かクレームが上がったのだと思い ます。もっとも当時、木村先生は日大の副総長を務めていらしたので、 日々の決済金額からすればものの数ではなかったと思います。

それでも翌年からは少し締め付けが強くなりました。


習志野で最初に作られた「イーグレット1」。34mを飛行(1973年)。

「イーグレット1」の開発メンバー、堀高明先輩。(2004.1.9 読売新聞)