習志野格納庫1 |
当時の格納庫は木村研のグライダー、人力飛行機、橋本研のヘリコプ
ターの研究用に使われていました。
卒業研究用に念願の格納庫が出来、「リネット」時代から続いた調布格
納庫の間借りからやっと開放されたた訳ですから、木村先生が会長とは
云え、同好会ごときと同居など有り得ない感じでした。研究室の皆さん
は新しい格納庫に特別な愛着を持っていらっしゃいました。
我々は、木村秀政先生にお願いするしかないと、心に決めました。
ちょうどその頃、木村秀政先生は日大の副総長を努めることとなり、お
茶の水の1号館2Fの副総長室に缶詰で、大変忙しい日々を送られていまし
た。
副総長になると同時に、大学から黒塗りの運転手付専用車が配車され、
中井のご自宅からお茶の水の送り迎えが始まりました。習志野の格納庫
に行くのもやはりその黒塗りでした。
副総長への面会については、秘書の方に何度もお願いしましたが、なか なか許可が取れませんでした。それでも懲りずに、何度も足を運ぶうち に秘書の方とも顔馴染みとなってきました。そのうち見かねたのか口添 えしてくれ、優先順位が下がるものの、何とか面会が許されました。
副総長室での面会となりました。 出来たばかりの不備な設計図を片手に、先輩2名と自分をいれて計3名 で、スケジュールのこと、予算のことを説明、最後に製作場所として習 志野格納庫をお借りしたいことを、許された短い面会時間に、熱っぽく お話しさせて頂きました。
その後、木村先生から橋本先生に連絡頂いたようで、直接格納庫に行っ
て再度申し入れると、今度はあっけない程すんなり利用許可がおり
ました。
ただ、卒業研究の先輩達にはやや煙たかれることもあり、卒研のお手伝
いをすることで少しずつ市民権を得る作戦を取りました。
軒先を借りた格好の「ホームビルト班」は、半年もたたない内に母屋を 占領する勢いで、1年後には完全に市民権(既得権?)を得てしまいまし た。もう時効でしょうが、研究室用に準備された宿泊施設も使い放題で した。
習志野滑走路。中央右よりの白い建物が格納庫。
テスト飛行中のモーターグライダー「N-70」。